カミュ「ペスト」のあらすじ-感染症に挑む人々を描いた名著・結末までわかりやすく-

2020年4月14日

 

世界地図・北アフリカ

カミュ「ペスト」は、1940年代にアルジェリアにペストが流行したという設定の物語です。感染症に挑む医師とその仲間たちの様子、取り巻く環境の変化が描かれていて、"コロナ禍に通じるものがある"、と2020年に話題になった本です。

出版年は1947年(著者34才の若さ)。難解で読み進めるのに苦労したので、内容を要約しまとめしました。後半は結末までのネタバレも含みます。

(原作が分厚い本なので、まとめた文章も長くなってしまいました)

※この本は、ある人物がアルジェリアの都市オランでのペスト流行について記録した、という形をとっています。(アルジェリアは物語当時はフランスの植民地)

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カミュ「ペスト」の登場人物

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ペストあらすじ|1.初期

ベルナール・リウーはアルジェリアの第二の都市オランに暮らす30代半ばの医師です。1940年代のある年の4月半ば、彼の妻は病の転地療養のため家を離れた。

同じ時期、リウーは自宅周辺や街中で鼠のなきがらを目にするようになり、その後10日あまりでおびただしい数が街に溢れた。またその頃から、リウーは不可解な症状で命を落とす患者に遭遇するようになり、その数はわずか数日で累増、看過できない人数になった。

各医師が把握する患者数は少なく、この時はまだ市民の間で疫病の流行は認識されていなかった。5月に入り、リウーは、年上の医師仲間・カステルと話し、"今起こっていることは非現実的で信じられないが、ペストだ"、という認識に至った。(ペストは近世まで流行した伝染病)

翌日、リウーは県庁に保健委員会を招集してもらい、そこではじめて市長や医師の間でペスト発生が共通認識として持たれた。(市長やメンバーはペストと認識することを渋っていた)翌日の新聞での扱いは小さく、県庁も目立たない所に張り紙をする位の注意喚起だった。

その日リウーに感染者数を報告しに来たグラン(リウーの昔の患者で市役所職員の初老男性)は、自傷騒ぎを起こした隣人で密売人のコタールの変化(急に社交的になった)を話した。

取り寄せ中の血清はリウーの元にまだ到着していなかった。彼はその日、自分が恐怖に取りつかれていることを認識した。人の温かさに触れたいと思いカフェに二度も入った。

ペストあらすじ|2.感染拡大

翌日の診療は、忙しい往診の中、患者の家族と話し合ったり患者自身と言い争ったりすることで日が過ぎた。リウーは自分の職業をこれほど重苦しいと感じたことはなかった。(従来なら患者は治療に身をゆだねていたが、疫病の流行で警戒心が増していた)

市が用意した特別病室は、他の患者たちを移転させた分館病棟2つで、窓を密閉し隔離の遮断線を設けた程度のもので、公式発表もまだ楽観的だった。リウーは病床不足や埋葬の警戒不足などを懸念し、オラン医師会の会長リシャールに、"徹底的な措置を取った方がいい"と電話したが、"自分には権限がない"という返事だった。

3日後、80床の病床が満杯になった。その後4日間犠牲者数は増え続け、幼稚園内に病床を開設することが報じられた。不安を冗談に紛らわしてきた市民たちもひっそりとしてきたように思われた。

リウーは思い切って知事に電話し事態の深刻さを伝えたが、知事は総督府の命令を仰ぐと言った。リウーは電話を切った後「命令待つんではなく頭働かせる時だ」とそばに居たカステル医師に言った。知事は(本人いわく)翌日から措置の強化をすることにした(申告の義務制と隔離、患者が出た家の消毒や埋葬を市が営むなど)

翌日飛行便で血清が到着したが、疫病がまん延するのであれば数が不十分だった。(救急用はストックが切れ今新たに製造に着手している状態)

その間の街の様子はいつもと変わらず、ペストの患者数はいったん減り衰退したかのように思われた。しかし突然犠牲者数が激増した。(犠牲者の数が再び30台に達した)

その日知事は、市の閉鎖を宣言した。

ペストあらすじ|3. 都市封鎖

都市封鎖

線路

市門が閉鎖され、この時からこのことが全ての人の事件となった。家族や愛する人と離れてしまった人は大切な人に思いを馳せ、県庁には自分だけ特別に都市の外に出ることを望む人が押し寄せたが、例外はなかった。

手紙は疫病の媒介となるのを防ぐため禁止、電話も緊急の場合のみに制限、電報だけが通信手段となった。

人々はあてもない散歩で過去を追憶、流通も止まり港の活気は消えてしまった。人々はまだ疫病を真実には認めておらず、はじめは施政当局に罪を着せ、新聞には措置の緩和を考慮できないかという批判記事が載った。すると知事はメディアに日々の犠牲者数を通達するようになり、ペストの第六週には犠牲者が345人まで増加したことが確認された。しかし人々はまだ一時的なものという印象を持っていた。

しかし5月の終わりに食料補給が制限され、ガソリンは割り当て制に、電気代の節約も規定された。贅沢品の店は次々に閉じ、開いている商店には行列ができた。やる事のなくなった人が街やカフェに溢れ、アルコールで伝染病が防止できるのではと酔っ払いが街に溢れた。

また、コタールが疫病に関するさまざまな噂を話題にした。(例えば、ペストの兆候を示した男が錯乱状態の中戸外に飛び出し、「俺はペストにかかった」とわめきながら通行人の女性に抱きついた、等)

市門閉鎖から3週間後、新聞記者の若い男・ランベールが医師リウーを訪れた。(彼はかつてリウーに取材をしていて面識があった)恋人をパリに残していて何とか出国したいので、自分が罹患していない証明書を書いて欲しいと頼んだ。

リウーが断ると。ランベールは「あなたには気持ちの通じ合っている二人が引き離されることがどんなものなのか分からないんだ」「あなたの言っているのは理性の言葉だ」と苛立った。

更なる感染者増加・リウーの戦い

リウーが任されている分院(3つになっていた)では週平均患者数が500に達し、運営は容易ではなかった。帰宅して手が震えていることもあった。彼は体が強く健康だったが、往診などは堪えがたいものになってきていた。家族は患者を引き渡すことに抵抗し大変だったが、監察員が同行するようになり、医師は1人の患者からすぐ次へ回れるようになった。

往診では患者の家族の嘆きと涙にあい、それが幾週も続きリウーは同情にも疲れてしまっていた。しかしその心の扉が閉ざされていくことが、唯一の慰めになっていた(毎回辛さを感じていたらとてもペストと戦い続けられないため)。夜中二時に帰宅する彼を迎える母はそのことを悲しんだ(母は妻が不在の間めんどうを見るため家に来ていた)

教会では著名な神父パヌルーがペストの集団祈祷を主宰し、多くの市民が参加した。(私達の罪により神から報いが与えられたという論調)

6月も終わりになり、夏が来ていた。犠牲者は週700名と増え、街は消沈した雰囲気で、全ての扉は閉じられ、いくつかの家からうめき声が聞こえた。憲兵は騒動を収めるため武器の使用を許され不穏な空気で、人々は疫病を助長する夏を恐れていた。海も禁止され夏を楽しむ雰囲気はなかった。

その頃から犠牲者数が週ではなく日で知らされるようになり(見せかけの数字を少なく見せるためと思われる)、感染防止するからとハッカドロップが売り切れになるなどした。

パリから届いた新しい血清は初めのものより効力がない様子で、統計は上昇し予防接種を行える可能性は相変わらず得られていなかった。また肺臓性のペストも見られはじめた。

保健隊の結成

その頃、リウーと顔見知りのタルーが、志願の保健隊を組織をリウーに提案した。(タルー:疫病流行の少し前にオランに来た若い男で素性は謎。新聞記者のランベールと同じホテルに滞在している)リウーは彼に兄弟のような親しみを感じ、心の内(職務に対する思いや神についての考え)を話した。

医師カステルは血清の製造に尽力した。また、保健隊が実現し市職員のグランが幹事役的な立場を引き受けた。(保健隊は、地区の衛生状態を高める活動や往診の手助け、専門職員がいない場合患者や犠牲者の車の運転などを行った)

グランは仕事後の時間、活動の統計作業を行い、時々リウーやタルーに趣味の小説の執筆について話し、それがリウーらにとっても息抜きになった。タルーはパヌルー神父も保健隊に誘い了承を得た。

一方、新聞記者のランベールはつてを頼り必死に出国手段を模索していた。しかしその間、ある意味彼女のことを忘れていたことに気づいた。

ある日リウーは、「ペストと戦う唯一の方法は誠実さ」「自分にとっては職務を果たすこと」と話した。ランベールはその時初めて、彼の妻が離れた療養所にいることを知り驚き、町にいる間保健隊で働くことを申し出た。

ペストあらすじ|4. 病疫の絶頂

8月半ばには町をペストが覆いつくした。それまでの外郭地区に加え中心部にも広がり、"自分達は他の人よりマシ"と考える慰めはなくなった。同時期、喪失と不幸で半狂乱になった人による火事が頻繁に起きた。罪を犯すと刑罰を受けるが牢獄ではペストが猛威をふるっていた。また略奪も発生した。

葬式は簡略化された。葬るための作業には人員が必要だったが、多数の失業者が出ていたので人手不足にはならなかった。愛する人との別れに苦しんでいた人々は、この頃には懐かしがる記憶も失った。また人々は何も選り好みしなくなっていた。(例えば自分の買う衣服や食料の質など)

ペストあらすじ|5. 足踏み

足踏み

10月まで足踏みが続いた。リウーと仲間たちはかなり疲労が増していた。誰かが統計の結果を報告しても、他の人は興味を持つ振りはするが上の空だったり、虚弱なグランはしょっちゅう疲れ切った状態で、突然しんみりして別れた妻の話をし、リウーはそれに対し妻の病状の悪化を話した。

タルーは滞在していたホテルが隔離所に改造された為、リウーの家に住み込んでいた。カステル医師は血清の準備による疲弊で気づくと眠り込んでいて、その老衰ぶりにリウーは辛さを感じた。(そのようにリウーも理性がきかなくなっていた)

みな疲労困憊で投げやりになっていて、自分達が定めた衛生規則もなおざりになっていた。(自分自身に行うべき数多くの消毒を忘れるなど)そんな中グランの隣人コタールだけは憔悴した様子もなく、タルーは彼に興味を持っていた。(コタールは罪を抱えていたため、今の状況を快適に思っていた)彼ら2人は週一回だけ行われていたオペラを観に行ったが、劇中で主役が疫病で倒れた。

ランベールは待ち望んだ出国のチャンスを得たが、町に残ることを選んだ。

10月下旬、罹患した判事オトン氏の息子に、カステル医師の血清が試され、その場にいたパヌルー神父は祈った。しかし苦しみが長引いただけで命を落とした。リウーは子供の苦しむ姿に耐えられず庭に出た。

引き止めたパヌルーに対し、リウーは「あの子だけは少なくとも罪のない者でした、あなたもそれをご存じのはずです!」と激しくたたきつけるように言った。パヌルーはリウーの憤りを理解しながらも、「おそらく我々は、私たちに理解できないことを愛さねばならないのです」と言った。リウーは強く反論、その後怒ったことを詫びた。

保健隊に入ってから、パヌルー神父はつねに疫病に接する最前線で働いた。(医療従事者は原則的には血清により安全を保証されていた)パヌルーは一見平静を保っていたが、少年が亡くなる場に長々と居た日から、増大する緊張の色が顔に現れていた。

パヌルー神父はリウーに、「"司祭は医師の診察を求めることができるか?"という論題で短い論文を執筆中だ」と笑いながら言ったが、リウーにはその言いっぷりより真剣なものを感じた。パヌルーは、今度のミサの説教で自分の見解を述べるのでリウーにも来て欲しいと声を掛けた。

神父は2回目の説教をある大風の日に行った。その後パヌルーは疫病と思われる症状が出て、医者を呼ぶことを拒み世を去った。

良い兆候

万聖節(11/1)、例年のように故人を思うものは誰もいなかった(もう考えすぎるほど考えていたので) 犠牲者数は変わらない数を維持していたが、専門家によるとそれは良い兆候で、カステルの新たな血清でも2,3の成功が出ていた。しかしみな再反転も警戒していた。県庁が医師を集めこの問題について意見を求めようとしていたその時、医師会の会長リシャールも疫病に命を落とした。

公共的な建物はほぼ全て病院か検疫所に改造されている状態ではあったが、リウーが計画していた組織はそれで追いつかなくなるほどには至らなかった。肺ペストが増えていたが、腺ペストが減り均衡を保っていた。しかし必需品の物価がつり上がり、貧しい家庭が苦しい一方、裕福な家庭はほとんど不自由することはなかった。隔離収容所の存在も市民の精神に重くのしかかっていた。

11月の終わりのある日の夜10時頃、くたくたになるような一日の後、リウーは以前からの喘息持ちの患者の爺さんを往診し、眺めがいいという2階のテラスに、往診について来たタルーと一緒に上がらせてもらった。そこでタルーはリウーに自分のことを話した。(17才の時、次席検事の父が極刑で人を裁く姿を見て以来父を嫌いになり、家を出て貧乏も経験し社会運動にも参加した。しかしこの社会に生きていることで間接的ながら自分も加害者側に立っているという思いに苦しんできた)

タルーは、人を裁き極刑を与える人間になることを、ペストに感染することに比喩し、「自分は直接でも間接でも人を死なせたり死なせることを正当化するいっさいのものを拒否しようと決心した、自分は以前からペストに苦しめられていた」と話した。

12月もペストの流行は続いていた。人々はもう未来というもののない生活をしていた。肺ペストが増え、患者たちは当初の頃のような狂乱に陥ることはなくある程度治療に協力的になり、リウーは前ほど孤独な気がしなかった。

ランベールは離れた恋人と文通するルートを得ていて、リウーもそのルートを使うよう勧めた。リウーは妻にはじめて手紙を書いたが、言葉づかいなど忘れてしまっていて書くのに時間がかかった。

クリスマスの時期になり、市役所職員のグランがペストを発症した。リウーは看病しながらも今晩中持たないと思っていた。ところが翌朝グランの症状は改善していて、一命をとりとめた。同時期、同じような例が4つくらい出ていた。

そして喘息持ちの爺さんが「鼠が走り回っているのを見た」とリウーに話した。統計の感染者数は下降していた。

ペストあらすじ|6. 収束・結末

花火

疫病の勢いの衰えに市民たちはすぐは喜ばず、解放は今日明日ではないと感じていた。しかし想定されるより早く疫病は衰退していった。1月上旬から寒い日が続き、患者数が減った。犠牲が増えたと思ったら別の日にはほとんど助かったり、血清も連続的に効果をあげた。

1/25、医事委員会の結果、県庁は疫病が防止されたと見なされると宣言し、市門はあと二週間閉鎖、予防措置は一か月続行されるとした。この日の晩は市中に浮き浮きした興奮がみなぎった。

開門まであと数日の時、タルーが熱を出しペストにかかってしまい、2,3日ペストと戦ったのち命を落とした。

リウーは、「友情をともにする間もなくタルーは戦いに負けてしまったが、自分は何をかちえたのか?」と考えた。それは、ペストや、友情や愛情を知り、それを思い出すということだった。タルーが苦しむ心の真実は分からなかったが、リウーには彼の面影が心に残った。そして朝がた、妻が8日前に亡くなったという電報を平静に迎えた。

二月に入りとうとう市門が開かれた。盛大な祝賀行事が昼夜開催され、汽車や港が動き始めた。ランベールはオランにやって来た恋人と再会し抱き合った。(ペストが長すぎて恋人に強く会いたいという気持ちは消えてしまっていて、"できればあの時の自分に戻りたい"と思っていた)コタールは激しい抵抗の末、警察に捕まった。

リウーはいつもの喘息もちの爺さんを往診し、遠くで歓呼の叫びが聞こえたのでテラスに上がらせてもらい、暗い港に上がった公式の祝賀の花火を眺めた。リウーは、自分が愛した人、死んだ者も罪人も忘れられ、人々は相変わらず同じようだ、そして自分は生きている彼らと同じ側の人間なのだと感じた。リウーは、ここで終わりを告げる物語を書こうと決心した。

終わり

文庫本/作者紹介

「歴史は繰り返す」を地で行くようなコロナ禍に通じるエピソードが出て来るもの驚きでした。(俺コロナおじさん的な人が登場や、医療従事者の疲労が極限まで達し、日用品の店が行列になったり、市民の貧富の差が一層拡大するなど)

また、日本人にとって身近ではないアルジェリアとい国が舞台なのも新鮮でした。

分厚くて読むのに時間はかかりますが、読み応えがあり考えさせられる本です。

作者・アルベール・カミュについて

カミュ Camus, Albert
生 1913.11.7. アルジェリア、モンドビ
没 1960.1.4. ヨンヌ、サンス

フランスの小説家、評論家。1957年ノーベル文学賞受賞。貧しい労働者の子として苦学しながらアルジェ大学で哲学を修めた。第2次世界大戦中レジスタンスに参加、『コンバ』誌に寄稿、戦後は主筆として活躍。42年に小説『異邦人』L’Etrangerと評論『シーシュポスの神話』Le Mythe de Sisyphe を発表、人間の運命の不条理と、運命に反抗して自由を求める人間の尊重とを説き、『ペスト』La Peste(1947)ではさらに、残酷な運命を前にしての人間の行動と連帯の必要を主張。また評論『反抗的人間』L’Homme revolte(51)をめぐってのサルトルとの論争は有名。『カリギュラ』Caligula(45)その他劇作もある。新しい小説を準備中に、自動車事故により死亡。

(ブリタニカ国際大百科事典 電子辞書対応小項目版 より引用)

小説の舞台・アルジェリアについて

小説ペストの舞台・アルジェリアはアフリカ大陸北部に位置し、アフリカ内での面積第一位、人口4220万人の国です。フランスとは地中海を挟んで向かいの位置で、約130年のフランス植民地時代を経て1962年に独立しました。砂漠が国土の大半を占め、石油や天然ガスが主要産業です。

アルジェリア旅行とかはあまり聞かないので国のイメージがほとんどないのですが、イチジクの産地のようです(小説の中で、街路樹に無花果の木があるというのが時々出てきたと思います)あとわたしは数年前のプラント事件のイメージがあります。

オランの街の様子は(いつの時代の写真か分かりませんが)文庫本の表紙の感じなのだと思います。(物語の中で、町は台地の上に建設されていて、風が強い時は激しく吹き込むと書いてありました)

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