長谷洋子さんの本「サザエさんの東京物語」を紹介します。
長谷川洋子さんはサザエさんの作者・長谷川町子さんの妹で、NHK朝ドラ「まーねちゃん」の末っ子ようこのモデルとなった方です。
「サザエさんの東京物語」は、洋子さんが80代の時に書いたエッセイで、長谷川一家が過ごして来た日々が洋子さんの視点で書かれていて、後半では姉妹の絶縁や遺産のことにも触れられていて、とても興味深く面白い本です。
(本記事は文章を完結にまとめるため敬称略している箇所があります)
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長谷川洋子さんは、長谷川町子一家をモデルにしたドラマ「マー姉ちゃん」の末っ子・ヨウ子のモデルとして知られる方で、ドラマ内の出来事は基本的に事実に沿っているようです。(菊池寛氏に師事し、病気で長期間療養したなど)
ただし写真屋さんのおじさんに懐いていたエピソードは、町子のエピソードを元にした話で、洋子さんの出来事ではないです)
ドラマ中盤でヨウ子は病気にかかりますが(「肺浸潤」というもので肺結核の初期の状態)、ドラマ内でも現実でも無事回復し、戦後再び家族で上京した後、お見合いで結婚し娘2人のお母さんになります。
「サザエ」さんの大ヒットで洋子さんは姉妹社の事務方を担うことになり、小説家にはなりませんでしたが、町子さんと長谷川家のことを描いたエッセイ「サザエさんの東京物語」を出版しました。
なお、洋子さんの長女(長谷川町子の姪)は現在フランス在住でエッセイを出版していて、孫娘も芸術分野で活躍しているようです。
「サザエさんの東京物語」概要
本は2008年出版ですが、2015年発行の文庫本版は2章追加され写真も増えているので、文庫本がおすすめです。
→写真の印象は、毬子さんは目が大きくて華やかで、町子さんは毬子さんとは似ていなくてお母さん似、洋子さんは上品な感じで姉二人の間といった印象です。(ドラマの役者さんはイメージに近いと思いました)
長谷川町子さんの本当の性格
長谷川町子さんは人付き合いが苦手で、滅多に表舞台に姿を現さなかったのですが、幼少期は殴る蹴るの乱闘もいとわないガキ大将だったそうです。
洋子さんにとって町子姉は「意地悪ですごい甘えん坊な姉」で、幼いころは菓子代を毎回せしめられたり、町子本人も「いじわるばあさんは自分の地のままで書けて気楽だ」と言っていたそうです。(あと、人一倍敏感で、話が面白い人だったとのこと)
→一家にはもう1人、毬子と町子の間に娘さんがいて、7才の時亡くなっています。なので町子は元々三女で、甘えん坊というのも分かる気がしました。
ガキ大将だった町子ですが、東京に引っ越し入学したお嬢様学校・山脇学園に馴染めなかったのを境に内向的になってしまい、家で喜怒哀楽の全てを発散しする超内弁慶タイプになったそうです。
→洋子さんは強い姉たちに気圧され、すっかり大人しい子になってしまったそうですが、これも何だか分かる気がします。下に生まれる子というのは大いに上のきょうだいの性格の影響を受けがちです。
串団子の3姉妹
戦後再び上京し、一家がサザエさんの出版で成功しはじめた頃、洋子さんはお見合いで新聞記者の男性と結婚しますが、夫は若くして病で他界してしまいます。
そういった事情と洋子さんも姉妹社の運営に関わっていたことから、三姉妹はずっと一緒に暮らすことになり、子供は姉妹皆で育てる感じになりました。(長女の毬子は戦争未亡人で、町子は生涯独身で、子供がいなかった)
姉たちは姉妹3人がいつも一緒なことを「串団子」と言っていて、共に暮らすことで心強く楽しい反面、洋子にとっては意見の強い姉たちに従わざるを得ず苦しい経験もあったようです。
例えば(結婚前の話ですが)、大学の進路を町子姉の意見で行きたくもない文系に行かされたり、娘の通学をまり子姉が、”姪が誘拐されないか心配”と譲らず、禁止されている車通学を続け、洋子が学校に再三注意されたなどです。
→自分の進路をきょうだいに強制されるなんて、現代じゃありえないですよね‥親に強制されるのすら反発しそうなのに
姉妹の絶縁・長谷川町子の晩年
洋子が60才間近の時、家が古くなったため、近所に新しい家を建てることになりました(母は認知症で入院していた)
姉たちは姉妹3人一緒に暮らすつもりでいたのですが、洋子は、姉たちが先に新居に引っ越した後一人で1か月間古い家で過ごす経験をして、これまでにない自由を感じたため、自分は古い家に残って別々に暮らすことを決意しました。
しかし姉たちは別に暮らすと言った洋子を許せなかったようで、溝ができ関係が断絶してしまいました。
(その後、洋子さんは彩古書房という出版社を娘さんとともに設立し、興味のあった児童心理学や育児書の出版を行います)
1992年、町子さんが72才で急逝した際は、毬子が秘書に口止めしていたため、洋子さんは町子の死をすぐに知ることが出来なかったそうです。
その後、洋子さんは毬子さんに手紙を出したり誕生日に花を贈ったりしたものの受け取ってもらえず、毬子さんは2012年に94才で他界し、最後まで和解できなかったそうです。
→姉の死をニュースで初めて知ったとしたらかなりのショックでしょうが、幸い秘書の方が知らせてくれたそうです。
「マー姉ちゃん」を視聴した身としては、あんなに仲の良かった姉妹が‥としんみりしつつも、続・マー姉ちゃんとして晩年を描いたドラマがあったら別のものとして面白そうです。
(大人になってからもきょうだいと仲良しでいられるにはどういう関係だといいのかという教訓が知りたい)
なお、町子さんの死因は心不全で、家の高い位置の窓を閉める際、脚立から落ちて全身を打ったのがきっかけでなくなったそうです。
しかしせっかく建てた新居の作り(脚立にのぼらなきゃ閉められないような高さに窓がある)が仇となってしまうというのも何だかなという感じです‥。
長谷川町子の遺産
洋子さんは、煩わしい話し合いを避けるため、町子の遺産は全て放棄していましたが、町子が亡くなった翌年、税務署が訪ねてきました。
町子の遺産額があまりにも莫大で、放棄する例のないものだったので「裏で貰っていてるのでは」と疑いがかかっていたものの、税務署が事前に洋子さんの財産を調べて額が少なかったので疑いが薄れ、念のため聞き取りに来ただけだったのでした。
洋子さんは、理解されるか分からないと思いながらも「余生は自分の好きなように暮らしたかった」と心の内を話し、あっさり理解して貰えたそうです。
→ちなみにこの時のやりとりで、洋子さんが「(遺産は)新聞には30億と書かれてましたが」と聞くと、税務署員が「とてもそんな額じゃない、もっと莫大な額だ」と答えたとあるので、多分100億は下らないですよね、、
大ベストセラーを持つ大御所の漫画家は他にも多くいますが、長谷川家は出版から家族で行っていたので、収益も莫大だったのでしょう。
町子との思い出
しんみりした話ばかり書いてしまいましたが、面白いエピソードも書かれていました。
町子はしょっちゅう物を置き忘れるタチで(旅行で空港にバッグを置き忘れて海外に行ってしまったり)
洋子さんが町子とデパートの呉服売り場で待ち合わせていた時、先に来ていた町子が、バッグを離れた所に置いたままショッピングに集中してたそうです。
それを見た洋子さんは、バッグを隠して驚かせようと思って、そろりそろりとバッグに忍びよったら、警備員の警戒の視線を感じてあやうく物取り扱いされそうになったというエピソードもありました。
他にも、サザエさんが新聞に連載されていた当時、町子が案を2,3作ってどれにするかを迷った時は、洋子さんが見て一番面白いと言ったものを選ぶことが多かったそうです。
感想や考察
本の感想で「絶縁になった理由がはっきり書かれていない」という感想もあり、たしかに疎遠になるまでのことが一言一句すべて書かれているわけではないですが、姉との関係が難しい面があったことは随所から分かり、お姉さんの振る舞いなどを考えると疎遠になったまでのことは理解できました。
また、「暴露本みたいで好きではない」という感想も見かけましたが、私は特にそうは思いませんでした。洋子さん視点での長谷川一家が知れて面白かったです。
変な言い方になりますが、「どこの家庭でもごたごたがあるんだなー」と思えて、癒され、60才目前で自分の人生を行きるために独立に踏み切った洋子さんに感銘を受けました。
「機関車に引かれる貨物列車同様、姉たちの引いたレールの上を走ってきた」「生まれてきた目的とは、自分に与えられた相応の器の中で転んだり、すべったりして生きていくことではないだろうか」という言葉が印象的でした。
(そうはおっしゃってますが、夫が早逝した中、当時の社会環境や家業を考えると、姉たちとに暮らしていたのは自然だと思います)
女性の集団って本当に人によるのですが、同調を絶対とする雰囲気があることがあり、それが過ぎると息苦しいのかなと思います。(どんな時も味方になってくれる安心感は大きいですが)
”一人の時間を持ってみてすごい自由を感じた”、というのも共感できます。家族と暮らしていると、良くも悪くも家族に影響される時間がとても多いと思うので。(たとえばテレビのチャンネル争い1つにしても意見の強い人が決めるのが暗黙のルールになってるとか)
以上、葛藤的な側面を多く書いてしまいましたが、本には楽しいエピソードも多くあり(毬子さんが女学生時代盲腸になった際、直前に大福6個と菓子パン4つを食べていたという話など)、長谷川町子さん一家の歴史を知ることができますので、興味のある方は読んでみるといいと思います。