おしん感想<佐賀編> おしんの性格や姑との不和を考察

2020年4月25日

おしん佐賀編の感想や疑問点を書きます。他の記事はあらすじ等を客観的にまとめていますが、この記事では主観的な小さな疑問や考察を書きます。

スポンサーリンク

おしんの性格が変わった? わがままで姑と対立?

佐賀編では、おしんは姑・清に嫌味を言われ冷遇される日々が続き、嫌味の酷さとその結末はむごくて、おしんがかわいそうでした。(そして長い)

その一方「おしんももっとこういう言い方したらいいのに」と違和感を覚える箇所がありました。

というか、これまでのおしんの育った境遇をからすると「おしんならもう少し上手く立ち回れるのでは?」と感じたのです

 

そしてそう思わせる原因は、幼少期と佐賀編でモチーフの元が違うからなのかもしれない、と思いました。

原作者の橋田先生は著書で、おしんの幼少期のストーリーの一部は、人に聞いた、極貧のため奉公に出た子供の話を取り入れていて、姑のセリフの方は、自身がお姑さんから言われたことを一部参考にしていると書いています。(後半で詳しく書きます。)

 

違和感のあるシーンは、例えば、

■清が「同じ家でお産が二つあると一方が欠ける」という迷信を恐れ、おしんに、出産までは手配した知り合いの家で暮らすよう指示するも、

おしんは「私は田倉の人間だからこの家で出産する」と言い張り断固拒否したシーン

→知り合いの家に移った方が、嫌な姑と顔を合わせないで済むのでかえって精神衛生上良いし、姑の提案を受け入れることで姑に貸しが出来て、少しはあたりも柔らかくなるのでは

気持ちを楽にして出産することを考えると、形として田倉家に暮らすことにこだわるのでなく、一度清の提案を受け入れてその家に行ってみて、待遇が今より更にひどくなるようであれば、その時”戻して欲しい”と言うのはどうか?、

などと感じました。

「行く先が怪しい家かもしれない」と思って断るにしても、もう少しだけでも姑の意見を尊重するような断り方があるのでは~と。

「家は移動しない」とおしんが言い張る時、姑なりの感じ方があることに理解を示さず、自分の価値観を通そうとしていて、強情な感じに見えました。(疲れていて余裕がないのかもしれませんが、「自分の方が正しいわ、迷信を信じるなんて・・」と思っているように見えました。)

迷信を信じることについては、世代が違うと考え方も違うので、それを全否定するのではなく、少なくとも表面上は「そうなんですね~」とか言って合わせれば良いのでは?と思いました(心の中で「なんじゃそりゃ」って思うのは自由ですが)

 

■清に何か言われたり叱られたときに、形だけでもいいから愛想よく「申し訳ありません~」などと謝る場面があまりなかった

→相手の母親が大反対している上で結婚し、(災害が原因とは言え)ある日突然同居するという状況に対する姑の心情を考えたら、要所要所で「すみません、申し訳ございません」という低姿勢の態度を表すことで、僅かかもしれませんが姑の怒りも収まったのではと思いますが、

おしんがそうやって低姿勢にしている印象はあまりありなかった気がしました。(私がそう感じただけで謝っているシーンがあったのかもですが)

→姑が”元女郎の佐和と親しくするな”と言った時も、おしんは「そんなことありません」ということをオブラートに包まず言っていましたが、そういった経歴を忌む人はいるものでしょうから、姑の手前は「そうなんですね~」と適当にあしらって、陰で仲良くすればいいのではと。

 

おしんは小さい時から使用人として働いていて、また元々が貧しい大家族の中で育ったという生育環境を考えると、周りとの衝突をうまく避けることを自然にするような人に育つのでは、と思うのです。

(そうでないと大家族暮らしや奉公は難しい気がしますし、幼少期のおしんにはそういう要素があるように見えた)

なのになぜ佐賀では姑に対して自分の意見を押し通そうとする頑なさ、不器用さが表れたのか? についてですが、

それは、冒頭でも書いたように、姑との同居のパートのストーリーでは原作者が自分の経験を取り込んだからではないかと思います。

 

おしんが幼少期に筏で下って奉公に出るシーンは、橋田さんが終戦直後に食べ物を求め親戚を頼って山形に滞在した際に地元の人に聞いた極貧の子供の話から着想を得ているそうです。また、ストーリー全体については、後に明治生まれの女性からこれまでの人生の苦労を綴った手紙を貰ったことと、それを受けて明治時代の女性に取材したことがネタ元となっているそうです。

 

一方、橋田先生はエッセイの中で、自身の嫁姑問題の苦労を書いていて、おしんの姑のセリフを書く上ではご自身のお姑さんとのやりとりを生かしているとありました。(「おしんの裏話・おしんや佐賀の姑のモデルは?実話が元?作者エッセイより」にもこのことについて記載しています。)

また、橋田さんご自身は、金銭的に困ってはいない家で一人娘として母の過干渉の下に過保護に育ち、一人の時間を過ごす方が好きだったそうです。(ご自身が本でそう書いています)

当時女性では珍しい大学まで進学した後、これまた当時女性では珍しい脚本家として成功されています。

41歳で結婚した後、お姑さんの家を訪ねた際に何か指摘や注意を受けると、橋田さんは「対話をしたいから」と思ったことをはっきりお姑さんに伝えて、義妹たちに「お母さんの意見に反抗するなんて」と驚かれたり、陰で色々嫌味を言われていたりと、お姑さんとの関係でかなり苦労したそうです。

また、映画会社に就職した際も、師匠の元での作業手伝いの際に、女の自分だけお茶くみや雑用を指示されるのが不本意で、それを態度に出していたので生意気と思われ仕事を貰えなくなったとエッセイにありました。

そのようなエピソードからすると、橋田さんご自身が、かわいがってもらうため周囲に合わせるというより、アーティスティックで自分を貫きとおすタイプで(だからこ大ヒットドラマを世に出せた)、

おしんが姑に何か言わた時、大人しく「分かりました」「すみません」と言って適当に合わせたりしないのは、橋田さんご自身が取った態度のイメージが反映されていているからでは、と思いました。

以上のことから、佐賀編のおしんには違和感を感じたのかなと思います。

上手く書けてなく良く分からない文章だったらすみません・・。

まあもし、もう少し立ち回りが上手かったとしても、あの姑さんの嫌味攻撃がおさまる、とまではならなかったとは思いますが・・

 

※思い返してみると、髪結い修行時にも、おしんは染子のオーダーを無視して違う髪型に仕上げ激怒されるも、結果的におしんのセンスが正しく評判を呼ぶというカリスマ美容師(死語?)的展開がありましたが、

これも、作者だったらこうなる、みたいなイメージが反映されている気が・・(なかなか、あのように説明もなしに勝手に違う髪型に仕上げる勇気はない)

 

放映当時、佐賀県からクレームが来たというが

ここからは単なる疑問です。

もちろんドラマですし、昔の時代を描いた物語なので、まさか現代に嫁をおしんのように扱う姑はいないでしょうが、

日本広しなので地方性はあるのかなと思います。

自分は東京在住ですが、父方の祖先が山形、母は九州(佐賀の近隣県)の農家出身で、どちらもおしんの登場エリアに近いです。

九州の親戚方には数度しか行ったことがないですが「台所は男性は立ち入らない」という雰囲気は近年でも目にしました。

また団塊世代の私の母は、”子供のころ女の自分は後回しで、長男ばかり優遇されて腹が立った”という話を恨めしそうに繰り返し言ってました。それは半世紀以上前のことですが、今も長男の権限が強いのですかね。 現在の九州地方はどんな感じなのか聞いてみたいものです。