ドラマ「おしん」はすごく面白くて楽しめるドラマなのですが、佐賀編は強烈で、おしんは姑からひどい扱いを受け、産んだ子まで失うというかわいそうな展開でした。(そして長い)
ただ、一方で「おしんももっとこう言えばいいのに」と思うことが何回かありました。というか、「おしんならもう少し上手く立ち回れたのでは?」と感じたのです。
おしんの全7編のうちで、そんな違和感を感じたのは試練編(佐賀編)だけでした。
この記事では、おしんの佐賀編への違和感について深堀りします。(姑と衝突したのはおしんがわがままなのか?おしんの性格が変わってしまったのか)
⇒なぜそうなったのかは、物語の骨格が一般の人の体験談である中に、部分的に原作者の橋田先生が「自分だったらこうする、こう言う」という行動が入っていて、そこに乖離のようなものがあるからではないかと考えています。
おしんの性格が変わった? わがままで姑と対立?
まず各シーンについて振り返ります。
違和感のあったシーンの一例
清が「同じ家でお産が二つあると一方が欠ける」という迷信を恐れて、おしんに出産まで知り合いの家で暮らすよう言ったが、おしんは「私は田倉の人間だからこの家で出産する」と言い張って断固拒否した
→知り合いの家に移った方が、姑と顔を合わせないで済んでかえって精神衛生上良さそうだし、提案を受け入れることで姑に貸しが出来て、少しは姑のあたりも柔らかくなるのではと思いました。
(そもそも姑の反対を無視して結婚したのだから、「自分は田倉の人間だ」と家に固執するのも変な感じだし)「行く先が怪しいかもしれない」と思って断るにしても、少しでもいいから姑の意見を尊重するような断り方はできないものか、思いました。
おしんは、姑なりの考え方があることに理解を示さず、自分の価値観を通そうとしていて、ちょっと強情に見えました。(疲労困憊で余裕がないのかもしれませんが、「自分の方が正しい。迷信を信じるなんて‥」と思っている感じに見えてしまいました)
迷信については、世代や地域性もあると思うので、それを全否定するのではなく、少なくとも表面上は「そうなんですね~」とか言って合わせれば良いのでは?と思いました。
清に注意された時、形だけでもいいから愛想よく「申し訳ありません」などと謝る場面があまりなかった
→姑の大反対を無視して結婚し(災害のせいとは言え)突然の同居という状況での姑の心情を考えたら、要所要所で低姿勢の態度を表すことで、僅かかもしれませんが姑の怒りも鎮圧したのではと思います。しかしおしんが低姿勢にしている場面は少なかったように感じました。
→姑が「元女郎の佐和と親しくするな」と言った時も、おしんはその考えに反対だということを率直に言っていました。ただ、水商売出身であることを忌む人は少なからずいるものなので、姑の手前は「そうなんですね~」と適当にあしらって、佐和とは陰で仲良くすればいいのではと思いました。
物語の設定から想定されるおしんの性格
次に、それまでのストーリーからイメージされるおしんの性格について振り返ってみます。
おしんの育った環境(貧しい大家族に生まれ、幼い頃から使用人として働いた)を考えると、どちらかというと周囲との衝突をうまく避けられる性格に成長するように思います。
そうでないと大家族での生活や奉公は難しいですし、幼少期のおしんにはそういう柔軟性があるように見えました。(家族第一で、家のことを思って忍耐できる)
なお、橋田先生は、おしんのストーリーはおしん世代の女性が実際に体験した出来事に着想を得ていると著書に記しています。
■筏で川を下って奉公に出るシーン :橋田さんが山形に疎開していた時に地元の人に聞いた話が元
■ストーリー全体 :一般の方からもらった人生の苦労を綴った手紙がきっかけで、明治生まれの女性に取材して書いたルポタージュが元
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原作者自身の性格
なのになぜ佐賀編では、自分の意見を押し通す頑なさ、不器用さが表れたのか?ですが、冒頭でも書いたように、部分部分に原作者が「私だったらこうする」という行動が入っているからなのではと思います。
橋田さんご自身は、金銭的に余裕のある家で、一人娘として母に過保護にされながら育ち、一人の時間を過ごすのが好きだったそうです。(ご自身が本にそう書いています)
また、当時女性では珍しい大学まで進学した後、これまた当時女性では珍しい脚本家として成功されています。
20代で映画会社に就職した時には、師匠の元での脚本制作の手伝いの際に、女だという理由で自分だけお茶くみや雑用を指示されるのが不本意で、それを態度に出していたので、生意気と思われ仕事を貰えなくなったそうです。
また、41歳で結婚した後、お姑さんの家を訪ねた際に指摘や注意を受けると、橋田さんは「対話をしたいから」と思ったことをはっきりお姑さんに伝えて、義妹たちに「お母さんの意見に反抗するなんて」と驚かれたり、陰で色々嫌味を言われていたそうです。
そのようなエピソードからすると、橋田さんご自身は、かわいがってもらうため周囲に合わせる感じではなく、アーティスティックで自分のやりたいことに向かって自分を貫きとおすタイプで、佐賀編のおしんが、大人しく「分かりました」「すみません」と言って適当に迎合しないのは、橋田さんご自身の性格が反映されていているからなのでは、と思います。
思い返すと、髪結いの修行時代も、おしんは客の染子のオーダーを無視して全く違う髪型に仕上げ激怒されるも、結果的にセンスが良かったので評判を呼ぶ、というカリスマ美容師的展開になっていましたが、これも、作者だったらこうなる、というイメージが反映されている気がします。(普通はあのように説明なしで勝手に違う髪型に仕上げる勇気はない)
まあもし、もう少し立ち回りが上手かったとしても、あの姑さんの嫌味攻撃が収まる、とまではならなかったとは思いますが・・
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